祖父が亡くなってもうすぐ1年…
(おでんとピザとルイボスティー)
皆さんこんばんは(^^)/
3月も最初の1週間が過ぎ、いよいよ年度末に向けて本格始動ですね。
明日からの私は、土曜日までの週6勤務に加えて
来週の日曜日には祖父の一周忌で、山梨に日帰りの予定です(;^ω^)
しかも水・木と2連チャンで施設外就労の引率もあるし…。
とにかく体調を崩さないように頑張ります!
今日は亡くなった祖父との思い出についてです。
◆私が福祉の仕事を志すきっかけをくれた人
今、私は精神保健福祉士として障がい者福祉の仕事に携わってますが、
この道に進もうと思ったきっかけを作ってくれたのは、多分祖父だと思います。
私が小さい頃、祖父は地域の民生委員・児童委員を長年務めていました。
子供の頃は民生委員がどんな仕事をしてるのか分かりませんでしたが、
祖父の家に帰省すると、近所の人や役場の人が訪ねてきて
いろいろ話をしていたのは覚えています。
その後、祖父が一時期栃木の大学病院に入院してた時
民生委員をやってた時のことを話してくれました。
「みんな平和なように見えるけど、中には大変な暮らし向きの人もいるんだ。
だから、俺が役場に行って何とかしてもらえるように頼んだんだ。
そしたら役場も動いてくれて、何とか生活も落ち着いたよ」
祖父の人徳もあるかと思いますが、民生委員としての責務をきちんと果たしている
姿を垣間見て、「祖父のような動ける専門職に就きたい」と思ったのを覚えています。
祖父の葬儀の時、親せきの方から「おじいちゃんは正義感が強くて、地域を愛していたから…」と言葉をかけられ、
とても誇らしい気持ちになりました。
そして今、誇りを持って福祉の仕事に携われることに感謝しています。
◆盆栽をこよなく愛していた祖父
今は空き家となっている祖父の家ですが、庭には祖父が丹精込めて育てた
盆栽がたくさん並べてあります。
お盆休みや正月休みに帰省すると、庭先で盆栽の手入れをしながら
「おお、遠いところえらかったな(大変だったな)」と
笑顔で迎えてくれる姿が、今でも忘れられません。
特にGWに帰省すると、さつきやつつじの花が満開で
甘い香りに包まれながら、一緒に剪定を手伝ったこともいい思い出です。
私の家に遊びに来た時も、庭の植木を見て
「ちょっと剪定してあげるから、はさみ持ってきて」と
父よりも数段上手に剪定してくれました。
植木や盆栽を選定しているときの祖父は、とても幸せそうでした。
◆父の高校進学の道を開いてくれた人
父が生まれたのは戦後まもなくで、中学卒業当時は
高校へ行く人はごくわずかでした。
祖母は中学卒業後、就職させようと考えていましたが
祖父は「工業高校に進学させて、もっと専門的な勉強をさせたい」と
祖母の反対を押し切って、父が高校進学できるよう
道を開いてくれたそうです。
父は下宿をしながら工業高校の土木科に進学し、
卒業後は東京の建設会社に就職して、定年まで勤めあげました。
そのおかげで母と出会い、結婚し、私と妹が生まれ
その一方で長男として祖父と祖母を支え続け、
最期まできちんと送り出すことができました。
父も「祖父が高校に進学させてくれたことは、とても感謝している」と
葬儀が終わった後に話していたのが、今でも忘れられません。
◆誰よりも家族の幸せを願っていた
晩年は自宅を離れ、特養ホームに入居していましたが
同じユニットの利用者さん仲間からも、職員さんからも慕われ
穏やかな日々を過ごしていました。
毎月1回家の掃除もかねてホームにいる祖父に会いに行ってましたが、
祖父はいつも笑顔で迎えてくれました。
そして「体は大丈夫か?仕事は頑張ってるか?」と
いつも気にかけてくれました。
私は看取りをすることはできませんでしたが、両親が最期を看取ることができ
認知症になることもなく、苦しむことなく逝けたのは
最後の最後まで家族思いだったんだなぁ…と思っています。
◆おわりに
祖父とは同居していませんでしたが、とても大好きな人でした。
子供の頃はいろんな話をしてくれて、私の世界を広げてくれました。
大人になっても病気のことを心配してくれたり、
いつも笑顔で見守ってくれたこと、本当に感謝でいっぱいです。
今も天国で祖母と一緒に穏やかな日々を過ごしていることを
願ってやみません。